医師不足の現状

医療をテーマに様々な視点から問題提起していきます。

「研究者の弛まぬ大志」


研究者の弛まぬ大志

高齢化が進む昨今、地域医療や老人医学の必要性日に日に増している。

横浜市磯子区洋光台にある奥田内科の奥田研爾院長は、研究者として、今日まで様々なワクチンの開発に取り組み、老人医学の発展に尽力されている。

感染症、予防及び老人医学の第一人者だ。いくつもの困難や壁に立ち向かい、乗り越えてきた奥田氏の言葉には、私たちの人生にも通づる教訓が隠されている。

「生きていればこそ出来ることが、きっとあるはずですから」

”奥田院長はこれまで、医学研究者として多くの論文を発表されています。

もともと研究の道を志したきっかけは何だったのでしょうか。”

『私は六男坊の末っ子で、両親はともに教育者。兄たちもまた、大学の教授を務める教育者や医学部を卒業した内科のエキスパート、街づくりの設計に携わる建築士や歯科医と、皆尊敬できる家族でした。そうした環境で育ったせいか、小さな頃から教育や医学の世界は身近にあったと思います。私は当然のように勉学し、人一倍の努力をしてきたと自負しています。そして、様々な学問にも触れてきました。その中で私が影響を受けた人物が、野口英世です。彼の生き方、研究に対する情熱に大きな感銘を受け、研究の道を志したのです。』

”具体的には、これまでどのような研究に従事されてきましたか。”

『研究は多岐に渡ります。横浜市立大学の医学部に在籍していた学生時代は、微生物学分子生物学の研究もしました。大学院卒業後はワシントン大学で免疫遺伝学を学びましたし、メーヨー医療大学、ハーバード大学のアシスタントプロフェッサーとして勤務していたころは、エイズワクチンの開発・研究にも着手し、たくさんの論文も手掛けてきました。』

”とても研究熱心な印象を受けますが、その先にどんな夢があったのでしょうか。”

『当時から、いつかノーベル賞を獲りたいという夢を持っていました。その想いは今でも変わりません。夢は永遠に持っていたほうがいいですからね。生きていればこそ出来ることが、きっとあるはずですから。だから今でも研究を続けていますし、そのためにワクチンの研究所も設立しています。エイズアルツハイマー、高病原性インフルエンザ等に効用のあるワクチンの開発を進めたいんです。成績はともかく、私は生来、勉強が好きなんですね(笑)。』

”夢を追う中で、失敗や挫折もありましたか。”

『勿論です。私はずいぶん若い時分に大学教授という職につきましたから、その分多くの失敗も経験しました。当時は早くトップに上り詰めたいという気持ちが強かったようですが、今になって考えると、トップに立つまでには、たくさん経験を積み、しっかりと階段を踏んでいくことも重要だと感じています。』

”若くして高いポストに就くと、様々な障壁や周囲からの反感もありますよね。”

『そうですね。ハーバード大学にいた頃から、国や財団などから億単位の助成金をもらいながら研究に没頭していましたから、周囲には私を税金泥棒だという人間もいましたし、エイズワクチン開発の際は当時の新聞などでライバルから色々叩かれました。多額のお金を研究日に当てていただくわけですから、そのためにも世の中のためになるようなワクチンを開発し、最良の成果を出さなければいけない。しかし、思ったように成果が出ないこともあります。』

”そんな時はどのように苦境に立ち向かい、乗り越えてきたのでしょうか。”

『私の兄が、いつも言ってくれた言葉があります。「自分が確信していることを思ったように貫けばいい。サイエンスの世界では時に予測と違うこともあるかもしれないが、間違ったという結果を正確に報告することも大切なこと。お前が失敗することで後輩たちが同じ失敗をせずに済むじゃないか」と、兄のその言葉は私の励みになりました。失敗にも価値がある、精一杯考え、やり通した結果なら仕方ないと考えるようにしたのです。そうした覚悟をもって研究を続けるうちに、東大・阪大や母校などから招聘のお誘いがありました。そして、研究活動は日本にいても続けていけるだろうと考え、母校に恩返しがしたいという気持ちで日本に戻り、横浜市立大学の教授として専念する決意をしたのです。』

「私も100歳まで頑張るから、おばあちゃんも一緒に長生きしよう」

横浜市立大学では学部長及び副学長などを歴任し、約10年間を費やしています。この期間は奥田院長にとってどんな時間でしたか。”

『私が学部長を務めていた頃、当時の横浜市長が変わった際に、学部の削減案や教員を半減するという案が出されました。私のもとには多くの未来ある大学院生や教員がいましたし、もっと母校や医学の進歩に役立てる活動を続けたかった。医術に徹していれば目先の医療には役立ちますが、長い目で見たとき、必ず医学の進歩が必要になります。そういった意味においても、学部や教員の削減には反対だと抵抗しましたが、結局は大幅削減。大学はすべてにおいて縮小しました。私もそれまで培った教育・研究は頓挫せざる得なくなり残念です。私も責任を取る形で、一時は学部長・福学部長職を降りたこともあります。この10年間は苦痛な日々でした。そうした経緯があった中で、私もまだまだ研究や教授としての務めに尽力したいという気持ちがあったのですが、志半ばで大学から退きました。』

”そうした誤った報道を明らかにするため、奥田院長自らが立ち上がり、訴訟を起こしているという話も聞きましたが。”

『当時からずっと、大学側から根も葉もない噂が流されることが多くなりました。私が学生にお金を要求したとか、自ら望んで実娘に学位を審査したなど、事実とは異なる話を持ち出した。私はこれらの嘘は許せません。だからちゃんと裁判をして、白黒はっきりさせたかったんです。そして2年ほど前に訴訟を起こし、結果、裁判所はこうした話に根拠がないと明確に言ってくれました。とてもほっとした思いですよ。』

横浜市立大学の職を退任後、どのような経緯で現在の奥田内科設立に至りますか。”

『私には野口英世ともう一人、尊敬する人物がいます。アルベルト・シュバイツァーという方です。もともとは科学者・芸術家として活躍した人なのですが、医師として熱帯医療に貢献し、ノーベル賞を受賞しました。私もそういう人生に共感し、いずれは熱帯医学や老人医学、地域医療に携わっていきたいと思っていました。

 そして横浜市立大学を出た後に愛知県豊橋市に移り、長寿医学研究所の所長を3年ほど勤めました。そこは大病院の付属研究室でもあったので、患者の傍らで老人医学に携わることが出来ると思ったのです。そして主に、アルツハイマーのワクチン開発に従事しました。その後、奥田内科を設立しました。』

”高齢化が進む中で、奥田院長のような素晴らしいキャリアを持つ医師が、老人医学に携わることは非常に意義のあることですね。”

『世の中には寂しい思いをしているお年寄りがたくさんいるんですよ。私は地域医療や老人医学に貢献するため、2年前に奥田内科を設立していますが、この近辺にも団地で一人寂しく暮らしている方がたくさんおられます。そして私は、お年寄りの方に向けてこういうんです。「家でテレビを見ているばかりでは駄目ですよ。ちゃんとお化粧をして、自分の足で歩いて、私や友人たちとお話しましょう。これからも良いことがたくさんあるよ。生きてこそなんぼ」。そうやって声を掛けるだけで、ニコニコと笑ってくださいます。私は複数の老人ホームにも定期的に出向いていますが、お話をするだけで喜んでくださるお年寄りの方がたくさんいます。そういう笑顔を見ると私も嬉しいですし、それだけでも大きな価値があると思っています。だからこそ、老人医学の大切さを伝え、多くの人を助けるワクチンの研究も続けていきたい。そのために私も100歳まで頑張るから、お婆ちゃんも一緒に長生きしよう、そう思うんですよ。』

Kenji Okuda

奥田内科院長。1971年横浜市立大学医学部卒業。1976年よりワシントン大学遺伝学教室兼任Research Associateとして勤務後、メーヨー医科大学ミネソタ州立大学、ハーバード大学のAssistant Professorを歴任。1983年に横浜市立大学教授、医学部長・副学長などを兼任しながら、今日まで数々の論文を発表している。奥田内科設立後は地域医療や老人医学にも従事し、活躍の場は多岐にわたる。

転載元:http://www.qualitas-web.com/qualitas_11891.html

参考ブログ:http://okdkennzi.exblog.jp/


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夏場の感染症問題

 

夏は旅行や帰省などでお出かけすることが多くなる時期です。宿泊先等で温泉や銭湯などの公衆浴場を利用する機会も増えますよね。また、夏といえばやっぱりプール。大型レジャー施設などのプールから近所の公共プールまで、夏になると何度もプールへ行くという方も多いでしょう。あるいは、仕事のあとのサウナが何よりの楽しみだという方も少なくないと思います。
 そうした公衆浴場やプールを利用する際に気をつけていただきたいのが、「レジオネラ感染症」です。
 何だそれ? 聞いたこともないぞ、という人も多いでしょうが、「レジオネラ」とは、土壌や河川、湖沼など自然界に生息する「細菌」の一種です。必ずしも温泉固有に生息しているわけではありませんが、近年では、空調設備の冷却塔水、循環式浴槽水、給湯器の水などに生息するバイオフィルム(生物膜)に寄生・増殖し、深刻な問題となっています。
 レジオネラ菌は、循環式浴槽などで水またはお湯が停滞する“39度前後”(一般細菌よりも少し高い)の環境で繁殖しやすいのですが、その水を飲んでも感染するというわけではありません。その水中の微粒な菌が、シャワーや湯気などで空気中に浮遊する蒸気、または霧状(エアロゾル)となり、呼吸することで人体の肺に入ると、感染するとされています。
 1976年、米ペンシルバニア州フィラデルフィアのホテルで在郷(退役)軍人会の総会が開かれた時、参加者と周辺住民21人が原因不明の肺炎にかかり、一般の抗生剤治療を施したにもかかわらず、34人が死亡しました。これにちなみ、在郷軍人のことを「レジオン」と呼んでいたことから、「レジオネラ症」という病名が付けられました。


転載元:http://www.excite.co.jp/News/society_g/20150801/Asagei_40287.html

こういった思いもよらないところから感染することもあるんですね。
気を付けたいです。

横浜市立大学元副学長・医学部長の奥田研爾医学博士が感染症治療を専門に行っています。

 

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医師不足の現状について

田舎や離島・へき地での勤務を希望(容認)する医学部生が極端に少ないことが原因で田舎での医者不足は都会以上に深刻です。
へき地勤務を選ぶことで学費が免除される自治医科大学でも、卒業生の約6割が(学費返済を条件に)大都市圏での病院を選んでいるのが現実です。
また、特に産科医と小児科医の不足は深刻で、常にアルバイト医師を募集している病院も少なくないです。
産科と小児科は、どの医者に聞いても「最も過酷な診療科だ」と答えるほど激務な仕事ゆえに、研修医のなり手が少ないのです。

産科はご想像が付くと思いますが、24時間体制の診療科です。妊婦さんがいつ産気づくかは分からないので、産科医は医者の中でも特に不規則な生活を強いられ、そのことが医学部生から敬遠される最大の原因となっています。

転載元:http://homepage3.nifty.com/bom-money/2_isya/sigoto/isya_busoku.html


医者不足の現状について紹介しました。
このような理由で医者不足になっているんですね。
どのようにすれば、医者不足は改善されるのでしょうか?

 

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